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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)13132号 判決 1999年5月28日

原告

後藤宗玄

被告

大谷健二

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金五二六四万五三六七円及びこれに対する平成八年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その二を原告の負担とし、その八を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して金六二六九万六五六六円及びこれに対する平成八年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  訴訟の対象

(一)  被告大谷健二(以下、被告大谷という。)民法七〇九条(交通事故、人身損害)

(二)  被告株式会社モリテック 自賠法三条(交通事故、人身損害)

二  争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実

(一)  交通事故の発生(甲一)

<1> 平成八年三月二六日(火曜日)午前五時五七分ころ(晴れ)

<2> 神戸市灘区記田町一丁目四番一五号先交差点(国道二号線)

<3> 被告大谷は普通貨物自動車(香川四五た六一六八)(以下、被告車両という。)を運転中

<4> 原告(昭和四九年二月二三日生まれ、当時二二歳)は軽四乗用自動車(大阪五〇に二四二二)(以下、原告車両という。)を運転中

<5> 被告車両が交差点でUターンをしようとしたところ、対向車線を直進してきた原告車両と衝突した。

(二)  責任(弁論の全趣旨)

被告大谷は、対向車線を直進してくる車両の安全を十分に確認しないで、Uターンをはじめ、原告車両と衝突した過失がある。したがって、民法七〇九条に基づき、損害賠償義務を負う。

被告株式会社モリテックは、被告車両の保有者であり、自賠法三条に基づき、損害賠償義務を負う。

(三)  傷害(甲四)

原告は、本件事故により、頭部外傷Ⅱ型、頸髄損傷、四肢麻痺、左手挫創、右膝擦過創などの傷害を負った。

(四)  治療(乙四、五)

原告は、次のとおり治療を受けた。

<1> 吉田アーデント病院に、平成八年三月二六日から同月二八日まで三日間入院

<2> 星ヶ丘厚生年金病院に、同月二九日から同年七月三一日まで一二五日間入院

<3> 同病院に、退院後、平成九年七月一日まで通院(実日数七四日)

三  原告の主張

(一)  後遺障害

原告は、平成九年七月一日に症状固定したが、四肢不全麻痺の後遺障害が残った。自賠責保険は、後遺障害別等級表五級二号に該当する旨の認定をした。

(二)  損害

原告主張の損害は、別紙一のとおりである。

四  争点と被告らの主張

(一)  争点

過失相殺、後遺障害

(二)  被告らの主張

<1> 過失相殺

原告は、制限速度を時速三〇キロメートル程度越える速度で走行していた。また、シートベルトを装着していなかった。したがって、原告にも過失があり、その過失割合は四割である。

<2> 後遺障害

原告の症状は事故後順調に回復し、健常者と同じように歩行することができた。ところが、原告は、意図的に高度な後遺障害が残ったと装っている。後遺障害が残ったとしても、その程度は軽微である。

また、平成八年末に発症した腰椎症が症状を悪化させたが、腰椎症と本件事故との間に因果関係はない。

第三過失相殺に対する判断

一  証拠(甲二ないし六、乙一ないし三、原告と被告大谷の供述)によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  本件事故現場は、東西道路(国道二号線)とこれに交差する南北道路の交差点である。

状況は、市街地であり、見通しはよく、信号機により交通整理がされている。東西道路は、制限速度が時速五〇キロメートルに規制されている。交差点には、東西道路を南北に横断する横断歩道と自転車横断帯が設けられている。

(二)  東西道路は、ほぼ直線の道路である。片側二車線の道路であるが、交差点付近では右折レーンが設けられているので、片側三車線となっている。一車線の幅員は、約三メートルである。

東西道路の東行き車線と西行き車線の間には中央分離帯が設けられている。

交差点の西側には、東西道路を横断するための横断歩道と自転車横断帯が設けられている。その自転車横断帯の東側(交差点中央側)には、車線の境界付近に、立体状(高さ一メートル、幅五〇センチメートル)の中央分離帯が設置されている。

(三)  被告大谷は、東西道路の東行き車線を走行していた。東西道路の南側にあるコンビニエンスストアに向かうため、本件事故が発生した交差点でUターンをしようと思い、交差点の約三一メートル手前で、右折レーンに進入した。

さらに約三一メートル進み、横断歩道上で、ハンドルをやや右に切っていったん停止した。西行き車線を対向車両が二、三台通過した。

その後、対面信号が黄色信号にかわり、さらに赤信号にかわった。西行き車線の第一車線の交差点直前(交差点の東側の停止線付近)を走行している原告車両を見つけた(その距離は、約五一メートル)。対面信号が赤信号にかわったので、原告車両は停車すると思った。原告車両の速度はわからなかった。時差式信号であることには気づかなかった。

ハンドルをさらに右に切ってUターンをはじめ、横断歩道上を走行して、西行き車線に進入した。

そして、西行き車線の第二車線上に進入したとき(Uターンをはじめてから約六・四メートル進んだとき)、後方(東側)から走行してきた原告車両が被告車両の左後部に衝突したので、ブレーキをかけた。

被告車両は、約一・四メートル進み、西行き車線の第一車線と第二車線の境界上に停止し、原告車両は、衝突した地点付近に停止した。

(四)  原告は、出勤のため、西行き車線の第一車線を、時速約七〇キロメートルで進行していた。本件事故が発生した交差点にさしかかったとき、対面信号が青信号であったので、そのままの速度で直進しようとした。ところが、対向車線を走行してきた被告車両が交差点でUターンをはじめたのを見つけ、急ブレーキをかけ、ハンドルを右に切った(被告車両が自車の進行車線である第一車線に進入すると思ったので、第二車線に進路を変更して衝突を避けようとした。)が、第二車線上で、被告車両の後部に衝突した。

(五)  現場の路面には、二条のスリップ痕が鮮明に残っていた。その長さは、右が約二〇メートル、左が約一八メートルである。

(六)  交差点の信号周期は、東行きと西行きは時差式であり、西行きのほうが青信号が長い。つまり、東行きは、青信号、黄色信号、赤信号とかわるが、西行きは、東行きが黄色信号になってから、一八秒後に黄色信号に、二二秒後に赤信号にかわる。また、西行きは、東行きが赤信号になってから、一四秒後に黄色信号に、一八秒後に赤信号にかわる。

信号機には、時差式信号である旨の標示がされている。

(七)  被告らは、原告車両の速度が時速約八〇キロメートルであった旨の鑑定書(乙六)を提出するが、推定値にすぎないから、これを採用することはできない。

また、被告らは、原告がシートベルトを装着していなかった旨の主張をするが、本件事故後原告がシートベルトを装着していなかった(争いがない。)というだけでは、被告らの主張を認めるに足りない。

二  これらの事実によれば、被告大谷は、対向車線を直進してくる車両に対する安全を十分に確認しないで転回をはじめた過失があることは明らかである。

しかも、被告大谷は、時差式信号であることを見落としている。また、交差点手前の中央分離帯の間の横断歩道上を走行してUターンしているから、原告から見ると気づきにくかったということができる。さらに、対面信号が赤信号にかわったとはいえ、交差点に進入する直前の原告車両を発見しているにもかかわらず、それから視線をずらし、その動静に全く注意をしないでUターンをはじめている。したがって、被告大谷の過失はきわめて大きいというべきである。

これに対し、原告は、制限速度を時速約二〇キロメートルオーバーして走行している過失がある。しかし、ほかには、特に、考慮すべき過失は認められない。

三  したがって、本件では、原告と被告大谷の過失割合は、二〇対八〇とすることが相当である。

第四後遺障害に対する判断

一  証拠(甲一〇、一一、一三、一五、乙四ないし六、原告の供述)によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  吉田アーデント病院での治療

原告は、本件事故直後に吉田アーデント病院に入院したが、頭部外傷Ⅱ型、頸髄損傷、四肢麻痺、左手挫創、右膝擦過創との診断を受けた。

同病院の医師は、原告の家族に対し、入院当初、頸髄損傷が高位であるから、中枢神経の特徴を考えると、完全な麻痺の回復は不可能であり、治療は、点滴と頸椎固定、そのあとはリハビリテーションをするしかないと説明していた。

ただし、筋力の回復傾向がみられた。

(二)  星ヶ丘厚生年金病院での治療

原告は、平成八年三月二九日、吉田アーデント病院から星ヶ丘厚生年金病院に転院した。同病院では、頸髄損傷と診断され、リハビリテーションを受けることになった。

入院時は、徒手筋力テストは上下肢とも三レベルであり、日常生活動作や体位移動はほとんど不可能であった。

同年七月三一日に退院し、それ以降通院をした。

入通院中のリハビリの経過は、次のとおりである。

原告は、同年四月五日、リハビリを開始した。同年五月一四日ころは、歩行能力が向上し、歩行器を使用して院内の移動をすることができた。同年六月七日ころは、T杖歩行が安定してきたので、歩行器からT杖使用で移動をはじめるようになった。同年六月一四日ころは、T杖歩行が安定し、屋内外ともに移動可能であるが、耐久性に不安があり、階段の昇降時も介助が必要であった。問題点は、両下肢の筋力低下と体幹のアンバランスであった。同年七月一日ころは、食事、更衣、トイレなどはほぼ院内自立しているが、入浴時に手すりが必要であった。筋力的にはやや向上しているが、問題点は、筋耐久性が低下し、筋力が不十分であり、今後職業をどうするかということであった。同年七月八日ころは、起居移動動作がすべて自立した。歩行能力も、T杖歩行は安定していた。杖なしだと、スピードは遅いが、歩行可能なレベルに達していた。耐久力は一〇〇〇メートル程度であった。階段の昇降は、手すりを使用すると安定し、T杖吏用だと軽い監視が必要であった。問題点は、筋力の低下と体幹筋群のアンバランスであった。最低限度の家庭生活は問題がなかったが、急な方向転換や走行、自動車の運転などには問題が残ると思われた。同年七月三一日の退院時、T杖歩行が安定し、上肢機能も安定していた。同年一〇月一五日ころは、T杖歩行が可能になったが、四肢筋力の低下が残り、長時間の起立、長距離歩行が困難であった。具体的には、独歩は五〇〇メートル程度可能であり、T杖を使用すると一〇〇〇メートル程度可能であった。公共の乗物の利用には半介助が必要であった。握力は、右が一五、左が一七キログラムであった。一年経過した平成九年一〇月一四日ころは、まだ下肢の障害の程度が強く、長距離歩行が困難な状態であった。

(三)  後遺障害診断書

原告は、平成九年七月一日、星ヶ丘厚生年金病院の医師の診察を受け、次の診断を受けた。症状固定日は、平成九年六月一七日(当時二三歳)である。傷病名は、頸髄損傷である。自覚症状は、四肢不全麻痺である。他覚症状は、四肢筋力が三~四レベルであり、長距離歩行が不能である(屋内では杖を使用し、屋外では車椅子を使用している。)。四肢反射亢進、握力は右が九・五、左が一四キログラムである。X線上明らかな骨傷は認められない。関節自他動運動においては、特に可動域制限を認めなかった。

(四)  主治医の意見

同病院の医師は、被告訴訟代理人からの照会に対し、平成九年一二月一九日、次の内容の回答をしている。リハビリの最終目的は一本杖歩行である。初診時には四肢不全麻痺(前医ではほぼ完全麻痺)であったが、徐々に回復し、退院時には短距離だと一本杖歩行が可能な状態であった。平成九年一月に腰痛を発症したが、その前後で下肢の筋力や知覚に著変はない。腰痛の明らかな原因は不明であるが、不全麻痺に伴う腰痛が考えやすい。現在の下肢の筋力の低下は頸髄不全麻痺によるものである。

(五)  自賠責保険の認定

自賠責保険は、後遺障害別等級表五級二号に該当する旨の認定をした。

(六)  身体障害者手帳の交付

原告は、平成八年一二月二〇日、身体障害者手帳を交付されたが、身体障害者等級表による等級二級(両下肢機能障害など)の認定を受けている。

(七)  仕事の内容

原告は、本件事故当時、ミキサーの運転手の仕事をしていた。

二  これらの事実によれば、原告は、本件事故直後、ほぼ完全麻痺の状態であったが、リハビリを続けて、徐々に障害が回復したこと、最終的には、数百メートル程度の独歩が可能になったこと、しかし、筋力の低下が残り、耐久性に問題があり、長距離の歩行が困難であったこと、仕事をどうするかという問題も解決されていないこと、今後も、どの程度まで回復するかはわからないことなどが認められる。

そうであれば、原告は、症状固定時において、短距離を歩くことができるものの、筋力の低下などにより、持続性に問題があり、通常の仕事をするのがほとんど難しいというべきである。したがって、特に軽易な仕事以外には仕事ができないと認めることが相当であり、七九パーセントの労働能力を四四年間にわたり喪失したと認められる。

三  これに対し、被告らは、前記の主張をし、次の証拠を提出するので、以下検討する。

(一)  被告らは、原告の生活を隠し撮りしたビデオテープ(乙七、八)を提出する。

確かに、これによれば、原告は、T杖を使用するなどして、短い時間歩行していることが認められる。

しかし、そうであったとしても、このような歩行はリハビリ中も可能であったのであるから、このビデオテープの内容は前記認定と矛盾しない。

また、このビデオテープは、原告の生活を断片的に記録したものにすぎないから、原告の障害が健常者と同じ程度にまで回復したということもできない。

かえって、このビデオテープによっても、原告は外出しないことが多いとされているし、四〇〇メートル程度の歩行しかしていないから、リハビリ中の状態とほとんどかわらないともいえる。

したがって、いずれにしても、このビデオテープだけでは原告の後遺障害が回復したとか、軽微であるということはできない。

なお、被告らは、このビデオテープの内容と原告の供述が明らかに食い違うから原告の供述に信用性がない旨の主張をする。しかし、前記認定のとおり、これまでの治療の経過や医師の意見などから原告の後遺障害を認定しているのであるから、このビデオテープによっても前記認定を覆すに足りない。

(二)  また、被告らは、医師の意見書(乙九)を提出する。

この意見書の内容は必ずしも明確ではないが、要するに、平成八年一〇月以降の腰痛、歩行能力低下、上肢筋力低下などは本件事故との間に因果関係がないから、結局詐病と認められる旨の内容であると思われる。

しかし、そもそも、この医師は原告を診察していない。原告を診察していない医師の意見が、原告を長期間に渡り診察した医師の意見より合理的であるとは到底いえないであろう。

また、この意見書によっても、前記認定が不自然かつ不合理であること(例えば、四肢不全麻痺と診断されたこと、四肢不全麻痺が徐々に回復したこと、短距離の歩行が可能になったこと、しかし、筋力の低下が残っているため、長距離の歩行が困難であることなどがおかしいこと)を裏付ける客観的な根拠は何もない。

また、腰痛については、原告の主治医は、原告の腰痛は不全麻痺から生じていると思われ、腰痛の前後で症状に著変はない旨の回答をしている。

したがって、いずれにしても、この意見書によっても、前記認定を覆すに足りない。

第五損害

証拠(弁論の全趣旨のほか、後掲のとおり)によれば、原告の損害は、別紙二のとおり認められる。

(裁判官 齋藤清文)

9-13132 別紙1 原告主張の損害

1 治療費 166万2709円

2 付添看護費 1万6500円

(1) 1日5500円

(2) 平成8年3月29日から3日間

3 入院雑費 16万6400円

(1) 1日1300円

(2) 期間128日

4 寝台車費用 4万9960円

転院時の寝台車使用費用

5 通院交通費 8万3550円

6 休業損害 455万0355円

(1) 基礎収入は平均月額30万3357円

(2) 期間15か月(事故から症状固定まで)

7 逸失利益 6592万2521円

(1) 平均月額30万3357円(×12)

(2) 労働能力喪失率79パーセント

(3) 就労可能年数44年(22.923)

8 入通院慰謝料 234万0000円

9 後遺障害慰謝料 1300万0000円

小計 8779万1995円

過失相殺後(原告1割) 7901万2795円

既払い 合計2131万6229円

(1) 被告557万6229円

(2) 自賠責保険金1574万0000円

既払い控除後 5769万6566円

弁護士費用 500万0000円

請求額 6269万6566円

9-13132 別紙2 裁判所認定の損害

1 治療費 166万2709円

2 付添看護費(甲7) 1万6500円

(1) 1日5500円

(2) 平成8年3月29日から3日間

3 入院雑費 16万6400円

(1) 1日1300円

(2) 期間128日

4 寝台車費用 4万9960円

転院時の寝台車使用費用

5 通院交通費(甲8) 8万3550円

6 休業損害 455万0355円

(1) 基礎収入は平均月額30万3357円(甲9)

(2) 期間15か月(事故から症状固定まで)

7 逸失利益 6592万2521円

(1) 平均月額30万3357円(×12)

(2) 労働能力喪失率79パーセント

(3) 就労可能年数44年(22.923)

8 入通院慰謝料 200万0000円

9 後遺障害慰謝料 1300万0000円

小計 8745万1995円

過失相殺後(原告2割) 6996万1596円

既払い 合計2131万6229円

(1) 被告557万6229円

(2) 自賠責保険金1574万0000円

既払い控除後 4864万5367円

弁護士費用 400万0000円

認容額 5264万5367円

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